2007年12月03日
出来る子と出来ない子の差
先を読めるかどうか、だ。

『白い巨塔』主人公のハピ公。
というより、先を読もうとするか、どうか。
その為には、現在を理解していないと、先が読めない。
だから、現在を理解しようとしているかどうか、だ。
学校の勉強にしても、何を分からなくてはいけないのか、を分かっているかどうか。
グラフのどこを、どのように、読みとればいいのか。
そもそも、あるグラフが何を言わんとしているか。
一つの事を知るためには、それに関係している様々の事を知る事が必要となる。
そこまで、頭が回るかどうかで、出来る、出来ないが決まる。

こ〜りゃ、おせーさ。
はよことせな、だしかんぜな。
興味を持つ事が大切なんだが
興味を持たせるのが、先生の仕事なんだろうと思う
それがなかなかに難しいから
毎日の生徒の観察やら、自分の勉強が必要なのだ

そんに、あわてんでも、ええなけな〜
学校の先生の仕事は
生徒を見張ることでもないし
かといって見て見ぬ振りをすることでもない
生徒を追いやることでもないし
ほったらかしにしたり
追いかけられたりすることでもない
生徒の受けをねらうことでもないし
変におだてたり、図に乗らせることでもない
生徒の親分になることでもないし
子分や、親になることでもない
生徒の全部を知っている振りをすることでもないし
生徒の事を全く知らないで済むことでもない
生徒をコントロールすることでもないし
統制したり、傍観することでもない
生徒のやんちゃな行為を学校全体の問題にすることでもないし
学校全体で考えなくてはならない問題をもんですてることでもない

おほおほ。
気ぃつけて行きんさいよォ。
やっぱり先生であるには、先生であろうとする自覚と
真摯な態度と、時間と空間を俯瞰できる大きさを備えるべく努力することだ
でないと「井の中の蛙」になってしまう
するとやっぱり育てるのは「井の中の蛙の子」になってしまう

「せいては事をし損じる」っていいますでな。
うおっほん
結局、出来る子と、出来ない子の差は
出来る先生と、出来ない先生の差と同じものなのだろうなぁ。
素晴らしい師になりたいし
素晴らしい師に出会いたいものだ
『白い巨塔』主人公のハピ公。
というより、先を読もうとするか、どうか。
その為には、現在を理解していないと、先が読めない。
だから、現在を理解しようとしているかどうか、だ。
学校の勉強にしても、何を分からなくてはいけないのか、を分かっているかどうか。
グラフのどこを、どのように、読みとればいいのか。
そもそも、あるグラフが何を言わんとしているか。
一つの事を知るためには、それに関係している様々の事を知る事が必要となる。
そこまで、頭が回るかどうかで、出来る、出来ないが決まる。
こ〜りゃ、おせーさ。
はよことせな、だしかんぜな。
興味を持つ事が大切なんだが
興味を持たせるのが、先生の仕事なんだろうと思う
それがなかなかに難しいから
毎日の生徒の観察やら、自分の勉強が必要なのだ
そんに、あわてんでも、ええなけな〜
学校の先生の仕事は
生徒を見張ることでもないし
かといって見て見ぬ振りをすることでもない
生徒を追いやることでもないし
ほったらかしにしたり
追いかけられたりすることでもない
生徒の受けをねらうことでもないし
変におだてたり、図に乗らせることでもない
生徒の親分になることでもないし
子分や、親になることでもない
生徒の全部を知っている振りをすることでもないし
生徒の事を全く知らないで済むことでもない
生徒をコントロールすることでもないし
統制したり、傍観することでもない
生徒のやんちゃな行為を学校全体の問題にすることでもないし
学校全体で考えなくてはならない問題をもんですてることでもない
おほおほ。
気ぃつけて行きんさいよォ。
やっぱり先生であるには、先生であろうとする自覚と
真摯な態度と、時間と空間を俯瞰できる大きさを備えるべく努力することだ
でないと「井の中の蛙」になってしまう
するとやっぱり育てるのは「井の中の蛙の子」になってしまう
「せいては事をし損じる」っていいますでな。
うおっほん
結局、出来る子と、出来ない子の差は
出来る先生と、出来ない先生の差と同じものなのだろうなぁ。
素晴らしい師になりたいし
素晴らしい師に出会いたいものだ
Posted by みかんまま at 02:47│Comments(0)
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